2024年7月17日水曜日

水辺の四頭の馬



絵具をのばして色を確かめる
書物の行方をめくってみる
思いつく言葉の先に何があるのか
風はどこから吹いているのか


水辺の四頭の馬
あの時なくしたものは戻って来ない
あの時はなした指さきは
ただ感触だけがわたしのもの


たどり着きたい思いがある
ゆれる草の中をかきわけて
動かない雲の影
水の源を探すように
静かにたたずむ四頭の馬を見つけて


誰か耳もとで囁いたように
彼方に宿る光りがうねるように
胸の奥に響いているさびしさ
いつか見た夢の続きを探している


今もそこで待っているような気がして
すこし息をひそめている




2023年3月25日土曜日

雨のあと、廃園で

 

雨のあと、僕らは廃園で見た
レインコートを着た怪人
手足が長くて、大きなシャベルを持っていた
まるで今しがた何かを埋めていたように
土に汚れたレインコートを


その色を その手触りを
覚えている、まるで春になる前のくすんだブルー
雨上がりのちょっとした空のいろ
レインコートを風にはためかせ
片足を引きずって去っていったさびしげな後影


振り向く前に 視線が合う前に
隠れた塀には冷たい涙雨のしみ
僕らが震えていたのは寒さのせいだけじゃない
知ってしまった、そう 怪人がひそかに埋めたものを


もう戻れない もう同じではいられない
否応なく大人になるしかないと知った日
あの空のいろを あのゆっくりと変わる雲のさまを
胸に刻んで、今でもどこかに探している
ある日突然立ち現れる春のこわさを


雨のあと、素知らぬふりして僕らは帰る
誰もいない廃園をあとにして




2022年11月11日金曜日

青い川は流れる



青い川の写真をみた
あなたの引き出しにこっそり隠してあった
どこに流れているのかわからない
冷たい夜明けの川だ


(どこか遠くでそれとも耳元で汽笛が聴こえた気がして)


あなたは青い川にさらわれてしまった
水があなたの白い裸身に絡みつく
夜明けがわたしのなかに満ちてくる
名づけることのないそのブルー


わたしはまぼろしの川が流れるのを感じる
曇りガラスの窓のすぐ向こうを
あるいは誰もいない図書館の本棚の片隅で
人とすれ違ったさみしさの後に


(それから夢のなかに知られずそっと忍び込むだろう)


遥かなる、と誰かが囁いた
それはどこまでも流れてゆく青い川
わたしのまぶたの上を
水がわたしの瞳からこぼれて頬骨を伝う


いつかさらわれる日を待っている




2021年8月11日水曜日

八月のドラゴンフライ



振り向くと、


肩先をかすめて飛んでいった
風のまにまに光って小さきもの
僕をもう追い越して それは八月のまばゆい光のなかへ


ドラゴンフライ
そのうすい羽の向こうに少女が見える

 
夏の陽射しははるか緑をしたたらせて
いつかの廃線駅の日盛りで少女が微笑む
洗いざらしの黒髪が揺れている 僕の好きだった少女


曇りガラスに指で書いた「アイシテル」という言葉
笑って逃げていった空色のサマードレスが
羽のようにひるがえって 今また僕を通り過ぎてゆく


(少女はピルエットをまわる 世界ごと、ふくらんで)


僕のまなざしの向こう ひとつの楽園があるように
やさしく繰り返す 君のなまえ 僕のなまえ
もう来ない列車をずっと待っていた、あれは遠い夏


ドラゴンフライ
手も触れずに行ってしまうの なつかしい風のように


のばす指先にほら ただ光っては消えてゆく



2020年12月12日土曜日

冬のシネマ



ガラス越し
ひとつの思い出が横切る午後
指をのばしてももう届かない影よ
その横顔はいつか見たシネマ
唇が動いて――と言った

    
    蒼いカモメの夢を見た
    夜明けの波濤を翼で風切る姿を


    微笑みだけが慰めのはずだった
    今はあなたのまなざしだけが


風のドアをひらいて
かかとを鳴らし歩いてゆく
革の手袋をはめる淋しげな背中よ
その後姿はいつか見たシネマ
指が動いて――と言った


            記憶の海ははるか
    蒼いカモメを胸のうちで飛ばした


    あの歌をいつも口ずさんでいた
    雑踏のなか 光射すほうへ



2020年5月15日金曜日

アナザーバード



緑の扉口(とぐち)で世界がはじまる
アナザーバード
ありふれた季節に
誰でもない名前を探していた
初めて逢うひとのような
遠い
横顔を


朝露に濡れた
葉裏がひるがえる
風の道
ためらいながらも
腕のなかに抱かれて
そっとその頬に指をすべらせた


さびしく燃えてゆく鳥の声
心臓をついばむように
花ひらく
明日
生まれ変わって円環する
時も粒子も越えながら


しずかな色彩で呼んでいる
それとも
アナザーバード
何気ないしぐさで
誰でもない名前を口にふくんでいた
風の行く先を見つめる
いつかのまなざしを
どうか



2019年12月7日土曜日

眠レナイ夜ニ



月だ
月の光がさしている
やがて窓からこぼれるように


羊はいくつ柵を越えただろう
少年は薄目をあけて天井を見る
白いかたまりは柵からあふれて
容赦のない瞳でじっと見つめ返す
人形は口を利かない
抱きしめても青い目は遠くを見るばかりだ
トランプ遊びにももう飽きた


むかし荊の城に閉じ込められた姫は
今も百年の眠りをむさぼっているだろうか
それとも林檎を齧った赤いくちびる
姫のまぶたには青い月の光がさしている


  S`il vous plait.


月の光が
やがて手に届く
指先にからみつくように


眠れない夜には待ち続けよう
あのひとのやさしいくちづけと
真夜中に転がる一個の林檎