2013年10月23日水曜日

十月、黄昏



十月、黄昏
やさしい人の涙を僕は知らない
誰か呼んでいる (猫の仔のようにか細く)
振り向けば街をすり抜けいつかの風が吹く
頬に触れる、あのなつかしい指先で


   がまぶしくて目を閉じる
痛みを知る時のあざやかさで僕は取り残される
黄昏にひとり、そして何かを待っている


たとえば通り過ぎてゆく風のきらめき
たとえば気まぐれな光の明滅
たとえばまだ見ぬ人のさよなら
たとえばすれ違って別れてゆくだけの


それはきっと物語のはじまりの最初の文字に似ている
あるいはおしまいにある「終わり」ではなく
「続く」のことば 


続いている、だから明日もこんなふうに僕は
何かを待ち続けていて
待つことだけがやるせなさのように


十月、黄昏
僕自身のことを僕はまだ知らない
影だけが長くのびて (口笛吹きながら)
帰ってゆく あの角を曲がって
また明日、くちびるでそっと囁いた風の中を



2013年9月18日水曜日

孤独の窓辺



海風にめくれる詩集さらさらと夕陽が射せば金が散る窓


夕立が過ぎて誰かを恋しがる覗く青空痛みにも似て


潮騒が胸裡に満ちてはなれない朝に夕べに打ち寄せる君


悲しみは魚のようにひるがえる水没する街雨だけを聴く


やわらかな慕情を人にゆるしては淋しくていつか口寄せる桃


くちびるは君のなまえを忘れ得ず散る花びらよ指に髪に目に


夏星へ永遠の君へ旅をする銀河鉄道ひかる野に立ち


蝶の羽、風にふるえるその心光に飛べと夢のささやく


夢にまで潮騒遠く忍び込む孤独の窓辺透き通る秋



2013年8月21日水曜日

緑のおもいで



あの月をおぼえている
かつて輝いた太陽を知っている
その手に触れたものも
触れ得なかったものもぜんぶ


それは、
緑陰にそっと揺れていた
真昼のしんとした光を浴びて
それは、
あなたしとわたしが触れた
名も知れない小さな花


ふるえていたのは風のせいではないこと
あなたとわたしの唇が
かすかに触れ合ったことなど


黄昏は早く訪れた
誰もいない花影でふたり
月も太陽もすべてわたしたちのものだった
見知らぬひとのほほえみさえも


それは、
緑陰にそっと眠っていた
わたしたちのもうひとつの翼
それは、
あなたとわたしが放した
名も知れない小さな鳥


アイシテル アイシテル
やさしい声でくり返すリフレイン
すべてわたしたちのものだった 月も太陽も
見知らぬひとのなみださえも



2013年7月18日木曜日

雨のなかの馬



雨のなかの馬
時間さえ檻のなかに閉じ込められる
そっと名前を呼んだ
季節が過ぎて青いさびしさが満ちてくる


後ろさえ振り向かず駆けていこうとする
雫のビーズをまき散らす夢よ
どうか名前を呼んでほしい
私は君のために生きる
(そして指先をのばすウンディーネ)


雨のなかの馬
目の裏側に降るかなしみを忘れて
静かに目を閉じると
遠くで光るものはいつしか海になる


世界はこんなにも君を受け入れている
雨は降りそそぐまぶしい光のように
君の心をも頬も濡らして過ぎてゆく
すべてが美しいと言って
(たとえばにくしみも涙さえも)


君よ、海があるならば
こぼれないように手のひらに包む
海があるならば
その胸の貝殻の響きを聴こう
海があるならば
くちびるとくちびるを合わせて息をする
君が溺れないよう 君を抱きしめるよう
(そして指先をのばすウンディーネ)


雨のなかの馬
ふるえながら泣きながら走って行け
瞳のなかで海があふれている
太陽がのぼり月がのぼり星が輝く地平
雨のなかの馬、君は、





2013年6月19日水曜日

手紙



まっさらな春の手紙を開封す花びらこぼれていちめんの花


雨のように心は君をおほえてるインクのにじみ幾度もなぞり


桜闇何を待ちわびあの日からかごめかごめの輪のなかにいる


雨でした、泣き濡れたまま奪ってよくちびる触れたその場所へ君

 
恋しいと空行く風にしたためる若葉揺すれて青い切手を


さよならの五月のかもめ便箋の白い海には愛するの文字


わが小鳥血を流し鳴く赤色(せきしょく)の薔薇よ答えはどこにもなくても


はつ夏の森をひらいて雫するみどりの馬のギャロップかるく


(元気です)思いひとつを投函すいつかは胸に届いて風よ



2013年5月22日水曜日

山鳩の遠く鳴く朝

 
山鳩の遠く鳴く朝
僕は旅に出る
心は遠く動いている
窓の向こう
あの坂を下った道に


風が梢をさやがせて
あれは空に向かって高鳴る心臓
緑の葉が一枚 また一枚
流されてゆく
風に何を告げ別れてゆく
透き通ったまなざしがあれば
明日に透けてゆく


誰も知らない時間がある
光をまとったまま花は微笑み
秘密のことばをささやくのだ
いつか小径の濡れた緑をくぐり抜け
子供に還る
緑の葉が一枚 また一枚
流されて


どこへ
それは旅
一瞬のなかに
ある
永遠


いつも誰かが
呼んでいるような気がした
あれは鳥の声
いいえ もうひとりのわたし
遠い日見失った後ろ姿
はるか草を渡ってゆく風の


山鳩の遠く鳴く朝
僕は夢を見る
緑もえるまだ見ぬ国を
夏が白い手でさし招いている
やわらかな指先で


 

2013年4月24日水曜日

馬酔木のうた


弓弦(ゆづる)が啼いている
火と風の言葉で
戦いはもう終わったと
あのひとはもう帰って来ないと


裸足で駆けてゆく濡れた樹下闇
白い裳裾を引きずりながら
胸には冷たい雫が流れ込む
いつか二人だけで感じた夜露のように


あのひとの手のひらはあたたかかった
草をちぎる指先に血がにじむ
あのひとの頬はあたたかかった
顔と顔を寄せ合って交わすくちづけ
あのひとは燃えるいのちだった
風は知っていた 火はすべて見ていた


私の腕輪は真二つに割れた
馬酔木を手折りもう二度と帰らない
刀子(とうす)を握りしめもう二度と帰らない