2018年10月17日水曜日

遠い集会



遠い声を聞いた 海の底のようなはるかな声だ
耳に残る 今はおぼろげな記憶のようだと
貝殻の奥にある秘密の旋律のようだと


遠い道を歩いて抱いてしまった憧れに逢いに行く
人々が集って来る 草を踏みしだき
あるいは土の上を嬉々として踏み固め


どこからともなく湧く水の泡にも似た胡乱だ
どこまでも辿り着かない夢だ
けれど
もう少しで指先が触れるだろうという渇望が
前へ前へと突き動かしている


わたしたちはみな同じ夢を見ている
遠い手触り それとも遠いまなざし
ただそれを知りたいというささやかな欲望だけで




2018年7月23日月曜日

七月の睡蓮の庭



いつかわたしが殺したあなたは真夏の池に眠っている
水天井を睡蓮の花で彩られ 綾なされあなたは
わたしが逢いに来るのをずっと待っている
その白い咽喉をのけぞらせ(わたしが愛したその咽喉仏)
しなやかな四肢をのばしている朝夕を


誰にも知られない あなたは秘密の水脈
繰り返されるアラベスク模様のひとつの装飾のように
あなたとわたしだけの時間がそこにある
乱反射する光にわたしは眩暈を感じる
あなたの指先がわたしの足首を這い


  キスして
  そこから顔を上げて
  睡蓮の葉陰にあなたの切れ長の目が覗く


わたしは岸辺からあなたを見下ろして
あなたの唇がわたしの唇に触れるのを待っている
(そのまま窒息しても 水に引き込まれてもいいとさえ)
けれどあなたは水のなかでずっと黙して語らない
わたしをあの時のまなざしで静かに見つめ返し 


 それとも日々の泡
 あなたの唇がかすかに動いたような気がしたのは


ああその池がどこにあるのかすでに思い出せない
七月の光を浴びながら睡蓮の花が咲いている
怖いくらいに美しいのはあなたを隠しているからだ
水のやわらかなうねりに今もそっと抱かれているように
わたしだけの夢を永遠に見ているように



2018年6月13日水曜日

レイン



海鳴りとは違う何か


僕の胸の裡で雲のように高まり
やがて激しく満ちてゆくもの――レイン
耳を澄ませば走ってゆく
樹々の隙間から見た青い空に
今しも雲が 鳥が羽ばたき
まるで君の心のように触れてゆく
指先が濡れてゆく
あれは君の瞳か――レイン
手を伸ばしても届かない


海鳴りに似た何か


とても遠い何か


きっと溺れてしまう前に
僕は息継ぎをする
僕は目を閉じる





2017年12月17日日曜日

十二月の本



十二月の本を静かにひらく
革表紙を少し湿らせて
窓の外には雨が降っている
雫が滴り落ちる またひとつずつ
わたしの頬にこぼれた涙 どこかで流したはずの涙
向こう側にすこしずつ落ちて
波紋を浮かべる遙かなみずうみになって


十二月の本の向こうに
裸木が一本雪原に佇んでいる
誰かの目印になるように
いつか森になることを夢見るように
白い素足で走る森 あなたがまるくなって眠る森
夢のなかで抱きしめていた
ひるがえる梢があなたであるように


十二月の本は音もなくひろがる
凍った空に鳥が一羽飛んでゆく
すべてを越えて届くように
わたしの胸に線を引くように
風を切る翼は遠い 
思う心も願いもきっと彼方にあるようで


十二月の本にいつしか囚われて
ガラスのなかの一途な世界
閉じ込められて 飾られてなお
あえかな羽毛の祝福で覆われる
あなたを埋めてゆく わたしを埋めてゆく冷たい愛撫
一瞬でくずおれる何か
触れられそうで触れられない永遠に似て


十二月の本がゆっくり閉じる
何枚もの扉のそのうちがわに
ただひとつのものがたりを隠しながら
鼓動は同調するだろう ふたたびの
鐘の音のように 
口ずさむ韻律のようにひそやかに



2017年10月14日土曜日

夢の手触り



冬の城明け渡すとき水中で愛を交わしてウンディーネのように


雨そして夢から醒めた余白には君のではない愛の降りしきる


君の目に春を捧げる、遠い日に誰かに焦がれ散りし花びら


海鳴りを聞いて一夜の契りとして花をちぎって含む眠りを


夢の花白くていっそ目を閉じる抱きしめられて海の果てまで


砂浜にさびしく光るガラス片破船の旅を君を夢見る


夏は行く忘れ去られた塔の影窓越しに見た輪回しの少女


幾千のひかりに打たれて口づけるほろびいくものなつかしいもの


たぐり寄せる夢の手触り近づいて遠のいてゆく秋草の果て



2017年7月21日金曜日

アルカディア



風の行方を知らないままで、


君は風を探している
風は君の唇にさえ宿っているというのに
それとも、それはどこか見知らぬ世界の風で


光がここに射してくる
草の穂の襞にも
僕の心の内側にも


光が、ここに射してく、る、


まるでアルカディア
光を溜める睫毛の先も
君の震える心の淵も


まぶしそうに目を細めてどこか上の空で
君は風を探している
このとき、この瞬間の気持ちを


 キット僕タチハ、コウシテイラレル、
 キット何モ持タナクテ、言葉サエモ、


そっと君の手に手のひらを重ねる午後
僕も風を探している
風にその唇をやさしく許されたままで


光が、ここに射してく、る、



2017年4月25日火曜日

水中花もしくはオフィーリア



それはひとつの水だった
ある日流れるようにわたしに注ぎ込んだ
それはひとつの風だった
吹き過ぎてなお心を揺さぶるのは


少女は春の花を摘む
長い髪を肩に垂らし何にも乱されることもなく
少女は白い花を摘む
そして川は流れていた 雪解け水が冷たくて


光ははかなく移ろっていく乾いた水
そこに流れようとしていた 水ではない激流が
花はけなげにも今を盛りに咲こうとして
その花束はその花冠は誰のためのもの


 あなたに逢うためにわたしは水を渡った


少女は見知らぬおとこのひとを見るだろう
彼の瞳の奥にはふるえる死の光がある
傷を負って赤い血はまるで花のように
その花束はその花冠はあなたのためのもの


その花を真っ赤に染めて川は流れる
その花が白いのは誰かのための祈りに似ている
その花を捧げるようにわたし自身を投げて
見つめ合って ずっとそれを待っていたと知るだろう


 あなたを愛するためにわたしは水を渡った


おとこのひとは少女をやさしく抱きしめて
少女は彼にくちづけをした
そしてそのままふたりは水のなかに溺れた
絡み合う長い髪 まるで恋に溺れるように


 水のなかにこぼれる花
 静かに落ちてゆく花
 約束された婚姻の
 

それはひとつの水だった
流れるようにわたしに注ぎ込む
それはひとつの歌だった
くちずさんでなお心を揺さぶるのは
或いはたましいさえも